2009年 03月 27日
愛すること、差し出すこと |
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません」
(ヨハネ 15:13)
あまりに有名なイエス・キリストの言葉。
今までは、そうだよね、で済んでいたけども、先日のANRCで、真実味を持って私に近づいてきた。
何かを得るから愛するのではなく、
思い通りになるから愛するのではなく、
大切なものまで差し出しても構わないという、それこそが「愛」なのだと思う。
自分の意と反するものを受け入れ、感謝をしていくことに、
愛の本質があるのではないかと、感じるようになった。
自分が育んだ大切なものを差し出すおとさえ厭わない。
その行為こそが、愛なのだと。
それは人間にはとても出来ないこと。
神に拠り頼むなら、できること。
それは神の御業。
神様は御子イエスを私たちにお与えくださり、
イエスは私たちの為にご自身をお捧げになった。
それゆえ、私は神の子とされる特権を頂いているのである。
世の価値観で生きるのではなく、
世からの賞賛を得るのではなく、
天にあるもの、永遠に朽ちないものを追い求め、
主からの栄誉を頂くことに視点を変えること。
それがこの世にありながら、
主に生かされていることの証なんだと思う。
今、主に従って生きることを選ぼう。
今までは、「ああしたい」
「こうなったらいい」と願い、現実とのギャップに混乱していた。
戦っていた。
でも「こうがいい」という願いを
大切な思いを主に差し出すことにした。
「こうがいい」のではなく、私を誠実に愛してくださる方の
御心がなされるとを願いたい。
愛してくださった主を愛し、仕えていく人生を送りたい。
それこそが、天にあるものに目を向ける生き方なのだ。
(ヨハネ 15:13)
あまりに有名なイエス・キリストの言葉。
今までは、そうだよね、で済んでいたけども、先日のANRCで、真実味を持って私に近づいてきた。
何かを得るから愛するのではなく、
思い通りになるから愛するのではなく、
大切なものまで差し出しても構わないという、それこそが「愛」なのだと思う。
自分の意と反するものを受け入れ、感謝をしていくことに、
愛の本質があるのではないかと、感じるようになった。
自分が育んだ大切なものを差し出すおとさえ厭わない。
その行為こそが、愛なのだと。
それは人間にはとても出来ないこと。
神に拠り頼むなら、できること。
それは神の御業。
神様は御子イエスを私たちにお与えくださり、
イエスは私たちの為にご自身をお捧げになった。
それゆえ、私は神の子とされる特権を頂いているのである。
世の価値観で生きるのではなく、
世からの賞賛を得るのではなく、
天にあるもの、永遠に朽ちないものを追い求め、
主からの栄誉を頂くことに視点を変えること。
それがこの世にありながら、
主に生かされていることの証なんだと思う。
今、主に従って生きることを選ぼう。
今までは、「ああしたい」
「こうなったらいい」と願い、現実とのギャップに混乱していた。
戦っていた。
でも「こうがいい」という願いを
大切な思いを主に差し出すことにした。
「こうがいい」のではなく、私を誠実に愛してくださる方の
御心がなされるとを願いたい。
愛してくださった主を愛し、仕えていく人生を送りたい。
それこそが、天にあるものに目を向ける生き方なのだ。
by witlord405
| 2009-03-27 22:16