2009年 10月 26日
私とあなた |
誰にでもある苦手分野。
自分にもある。
会話が苦手。不得手なのだ。
相手への伝達方法をざっくりと分けてみると、、、
1.意見を述べる
何かに関して”自分の意見を述べる”ことは、あまり抵抗ない。
考えることを相手に伝えることはできる。
発言のしやすさはメンバーや、内容にもよるけど、
”意見交換”や”議論”といったものは、そんなに嫌いじゃない。
正確に伝えられるかどうかは、ちょっと自信ないけど・・。
2.状況を述べる
”報告”は少し苦手意識がある。
会社では何言ってるか分からない、とよく怒られたもの。
トラウマがあって、あんま好きじゃない。
報告を上げるのは、、個人的には難易度が高いものなんじゃないかと思う。
まず報告する側が内容を把握しており、
さらに相手に分かるように伝えるというもの。
報告するタイミングや言葉もあるから、なかなか難しい。
3.会話
人によってはそうでもないよ、と言ってくれるかもしれない。
でも苦手らしい。
========================
ある人から言われたことがある。
好きな男の人のタイプを皆で話していた時。
一人が、話を聞いてくれる人、”人”に興味がある男の人が好みだという。
話がそれて私の話に。
私は会話の途中で、今まで話していたことと、まったく違う話題を
切り出すことがあるという。
確かに、よく言われる。
「突然なぜその話題に?!」って。
それが、結構ショックなのだと。
何年も付き合っている仲だけに、心にグサッと来た。
========================
伝達方法について、自分の思うところを述べてみたけど、
3.会話は、1.、2.とは異なる性質を持っている気がする。
コミュニケーションという点では、全部共通する。
自分がいて、他人がいる。
伝える人間がいて、伝えられる人間がいる。
ただし、意見交換や議論は、話すべき土台が用意されている。
話題が設定されている。
報告は、報告を上げた人間の一方的な伝達で終わることもある。
指摘や意見を貰うこともあるけれども。
報告すべき話題もある。
1.と2.は、”私とあなた”という文脈ではなく、
”メンバーAさんとメンバーBさん”、”担当者と責任者”、”上司と部下”といった
形式的な文脈の中で行われることが多い。
でも、会話は完全に相手との相互的なコミュニケーションとなる。
何の拘束もない。
ゆえに、会話とは、もろに”人格と人格の交わり”になるのだ。
相手の言うことを聞いて、それに対して答える。
相手と時間を共有し、相手を受け入れ、自分を預ける。
形式的な役割は付与されず、何も身に着けない”私とあなた”で、会話は生まれる。
その会話の流れを、突然切ってしまうことがあるらしい。
相手を受け入れる、という受信はできず、
どうやら、送信だけしているらしい。
つまり、
人格と人格の交わりが上手くできていないということ。
========================
いつからこうなってしまったのか?
思い当たる節はある。
あまり思い出したくない、向き合いたくない過去の出来事だけど、
でもやっぱりそれは、じわりじわりと、私の心の中から、出てくる。
優しさとは、”受け入れることができること”だと思う。
相手の弱い面も受け入れることができる人は、優しい人だと思う。
愛したいと願いながら、心には冷たい刃がある。
愛したいと願いながら、愛せない弱さがある。
心の傷から出てくる鎖は、愛する自由を奪う。
キリストの平安のうちに、きっと答えが出てくる。
解放される日を信じ、戦うことを忘れずに、歩んでいきたい。
自分にもある。
会話が苦手。不得手なのだ。
相手への伝達方法をざっくりと分けてみると、、、
1.意見を述べる
何かに関して”自分の意見を述べる”ことは、あまり抵抗ない。
考えることを相手に伝えることはできる。
発言のしやすさはメンバーや、内容にもよるけど、
”意見交換”や”議論”といったものは、そんなに嫌いじゃない。
正確に伝えられるかどうかは、ちょっと自信ないけど・・。
2.状況を述べる
”報告”は少し苦手意識がある。
会社では何言ってるか分からない、とよく怒られたもの。
トラウマがあって、あんま好きじゃない。
報告を上げるのは、、個人的には難易度が高いものなんじゃないかと思う。
まず報告する側が内容を把握しており、
さらに相手に分かるように伝えるというもの。
報告するタイミングや言葉もあるから、なかなか難しい。
3.会話
人によってはそうでもないよ、と言ってくれるかもしれない。
でも苦手らしい。
========================
ある人から言われたことがある。
好きな男の人のタイプを皆で話していた時。
一人が、話を聞いてくれる人、”人”に興味がある男の人が好みだという。
話がそれて私の話に。
私は会話の途中で、今まで話していたことと、まったく違う話題を
切り出すことがあるという。
確かに、よく言われる。
「突然なぜその話題に?!」って。
それが、結構ショックなのだと。
何年も付き合っている仲だけに、心にグサッと来た。
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伝達方法について、自分の思うところを述べてみたけど、
3.会話は、1.、2.とは異なる性質を持っている気がする。
コミュニケーションという点では、全部共通する。
自分がいて、他人がいる。
伝える人間がいて、伝えられる人間がいる。
ただし、意見交換や議論は、話すべき土台が用意されている。
話題が設定されている。
報告は、報告を上げた人間の一方的な伝達で終わることもある。
指摘や意見を貰うこともあるけれども。
報告すべき話題もある。
1.と2.は、”私とあなた”という文脈ではなく、
”メンバーAさんとメンバーBさん”、”担当者と責任者”、”上司と部下”といった
形式的な文脈の中で行われることが多い。
でも、会話は完全に相手との相互的なコミュニケーションとなる。
何の拘束もない。
ゆえに、会話とは、もろに”人格と人格の交わり”になるのだ。
相手の言うことを聞いて、それに対して答える。
相手と時間を共有し、相手を受け入れ、自分を預ける。
形式的な役割は付与されず、何も身に着けない”私とあなた”で、会話は生まれる。
その会話の流れを、突然切ってしまうことがあるらしい。
相手を受け入れる、という受信はできず、
どうやら、送信だけしているらしい。
つまり、
人格と人格の交わりが上手くできていないということ。
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いつからこうなってしまったのか?
思い当たる節はある。
あまり思い出したくない、向き合いたくない過去の出来事だけど、
でもやっぱりそれは、じわりじわりと、私の心の中から、出てくる。
優しさとは、”受け入れることができること”だと思う。
相手の弱い面も受け入れることができる人は、優しい人だと思う。
愛したいと願いながら、心には冷たい刃がある。
愛したいと願いながら、愛せない弱さがある。
心の傷から出てくる鎖は、愛する自由を奪う。
キリストの平安のうちに、きっと答えが出てくる。
解放される日を信じ、戦うことを忘れずに、歩んでいきたい。
by witlord405
| 2009-10-26 20:57
| 思想